前回の記事はこちら
iTunes Music Storeの仮想敵
iTunesを登場させ、音楽をMacで管理する「Rip, Mix, Burn」を提唱したApple。こうして音楽ライブラリのデジタル化の方法を提供し、出口の部分に当時の音楽向けとしては小型で大容量となる5GBのハードディスクを備えたiPodを用意したのが2001年でした。
その次に登場させたのが、2003年のiTunes Music Storeでした。
米国を中心に、iTunesでの楽曲購入の勢いはすさまじく、ストア開設から18時間で27万5000曲、最初の1週間で100万曲のダウンロード販売を達成。1年間に7000万曲を販売、2年目で3億曲、その3ヶ月後の2005年7月5日に5億曲の販売を達成しています。
Steve Jobsは当時、「1日に150万曲販売、米国でのシェアは82%を超える最大の音楽配信サービス」と語り、その1ヶ月後の2005年8月4日に日本でのストアを開設、最初の4日間に100万曲の販売を達成しました。
その背景にあったのは、音楽の不正アップロード・ダウンロードによるユーザー間の共有や、NapsterなどのP2P共有アプリの存在でした。誰かがCDを購入してMP3化し、P2Pのファイル共有に載せてしまえば、音楽を無料で楽しむ事ができる…。
こうした動きはAppleがiPodを登場させる前から活発化しており、音楽業界がデジタル化に対して非常に後ろ向きになっていた大きな理由でもありました。iTunesとiPodで音楽のデジタル化を進めていたAppleとしても、著作権侵害の問題は、避けては通れない問題でした。
P2Pが、iPodとiTunesの仮想敵になっていたわけです。
iTunes Music Storeの仕組みは、iTunesアプリ内で音楽を購入し、ダウンロードしてライブラリに収めることができ、AAC方式128kbpsの音源ファイルには著作権保護機能が用意されていました。ダウンロードした人のアカウントで認証されたiTunesもしくはこれと同期するiPodでしか音楽を聴くことができないようにし、ファイルだけ流通しても再生出来ないようにしたのです。
これはレコード会社に対する説得材料となり、CDの取り込みを介さずiPodで音楽を楽しむ事ができる手段として、デジタル音楽流通への移行を実現させることに成功しました。
ここで、Appleは、レコード会社と交渉して音楽のデジタル販売を実現し、これをiPodという強力な音楽プレイヤーを背景にしてユーザーに購入してもらう、プラットフォームとしてのiTunesを手に入れることになりました。
音楽流通のデジタル化を通じて、より人々にアクセスしやすいものにし、同時にレコード会社にとっても、公正に音楽を流通させる場だという理解と納得があり、ユーザーとレコード会社の両サイドがメリットを享受する構造を用意することになりました。
そしてAppleは、デジタル時代における音楽の「救世主」のような存在となったのです。
iPhoneでiPodを仮想化(アプリ化)
2007年1月、Steve JobsがiPhoneを発表する際に、こんな説明をしていました。
今日発表するデバイスは3つです。大きなタッチインターフェイスを備えたiPod、電話、インターネットコミュニケーションデバイス。〜 お分かりですね? これらは3つの分かれたデバイスではありません。
Appleにとって当時のiPodは、顧客に対する最も身近な接点となっており、ビデオや写真を表示できるカラーディスプレイを備えたり、腕時計のような本体サイズを実現したり、カラフルなボディーと定番の白いイヤフォンの組み合わせで、人々のライフスタイルに入り込んでいました。
その新製品に、電話とネットの機能を盛りこむ形で、iPhoneという存在が紹介されます。見方を変えれば、iPhoneというデバイスの1つのアプリとしてiPodアプリが用意されたも言えるわけで、この時点で「物理的なiPod」の終焉は見ていた未来だったのかも知れません。
iPhoneの音楽アプリはiTunes Storeと統合され、モバイル通信を通じて音楽をダウンロード購入できるようになりました。当面MacやPCとの同期を前提に音楽を管理するスタイルが残りましたが、iPhone単体で音楽を管理して楽しむようになったことも、iPodの重要性や存在価値を失わせる要因になっていったとみています。